そんな感情を、教員の方なら抱いているのではないでしょうか。
今回はあの有名な菊池省三先生の本を読み、学級崩壊はなぜ起こるのか。どうすれば崩壊は防げるのかについて教えていただきました。
公の喪失=父性の喪失
現代は昔と違い、公が消失してしまったことが、学級崩壊へとつながっていると、菊池先生はおっしゃいます。
公とは、「自分とは違う立場の考え方の人たちと協力し合う場、そのための振る舞いが必要な場」だと書かれています。
家庭以外の公共の場(学校など)では、当然求められる振舞いがあり、それを守った上で個性が発揮されるべきでしょう。
しかし、公とは何か、どうするべきか、という情報が、どんどん受け継がれにくい社会になってきました。
親は核家族化により、家族内はもちろん地域とのつながりも失われ、縦の関係がなくなってきました。
それにより、道徳・倫理観など、軸となる考え方を親も先人や他者から学びにくくなり、その皺寄せは当然子どもにもやってきています。
親も情報不足で苦しんでいるのです。
公を育むには「父性」が必要だと書かれています。
母性が内で守るのに対して、父性は外に向かわせるものです。
つまり、公の場での挨拶や言葉遣い、立ち振る舞いをしつけるものです。
こういったことを学ばずに、子どもたちは公教育の場へとやってきます。
昔なら学校で相応しくない振る舞いがあれば、家庭や社会での教えもある分、スッと伝わることもあったそうです。
しかし、現代はそうはいきません。
そのため、教員が何の手立てもなく指導すると、そこには反省ではなく反発が生じ、学級崩壊へと向かうということです。
ダメダメと、「厳しさ一方で怒り続ける」のでは今の子どもたちはついてきません。
公を身に付けさせるため、子どもの成長させるために、必要な手立てがあるのです。
子どもたちを導くための手立て
MFCを意識する。
Mother→母性。子どもを守る。
Father→父性。公を教え、自立させる。
Child→一緒になって遊ぶ。
これらを一人の人間が持って、それぞれを使いながら子どもと向き合うことです。
どれか一つでは、やはり子どもは偏った成長をしてしまうでしょう。
現代は特にFを意識しながら、子どもとの信頼関係を築き、教育していく必要があります。
褒め言葉のシャワー
目的:相手を知り、関係づくりをするため。
安心して自分を出せる場はいじめがなくなり、意見が活発になり、成長できる。
方法:帰りの会の日直さんが、クラスの友達に褒めてもらう。
最初は聞けてなかったりぐちゃぐちゃでも良い。
一瞬でもその人の良いところを考えようとしただけで◯
成長ノート
目的:書くことで、話すことより深く内省させる。
成長を可視化する。
担任のコメント返しにより、信頼関係を築く。
方法:テーマを決めて書かせる。「今日学んだこと」など。
最初は真似して写させる。「今日はこれを学びました。」
学んだことはプリントアウトして、「こんなに成長できた!」と示す。
→良いことの基準が明確になる。
時間を区切り、遅い人を待たない。(時間は貴重であり、成長のためには待つより時間内に精一杯やることが大切であることを話す。)
発表者の方を聴く側が向く
目的:公での振る舞いを身につける。自分以外の人との対話から人は成長できる。
方法:対話力=話すこと×聞くこと。どちらか0点ではいけない。
声の大きさを意識する(話手)。でも、小さい声でも聞こえるようにする。(聞き手)
どんな子に育てるのか
前述の指導法を学級で行いながら、教員・親は自分の中に「どんな子に育てるのか」という軸を持つべきだと書かれていました。
漠然と「良い子に育てたい」と思ったとしても、「良い子」の定義が曖昧では、子どもに対して明確な指示やアドバイスができません。
菊池先生は「学習指導要領・生きる力」を6年生の子ども達に見せ、三つ大切な目標を決めさせるそうです。
私は以下の三つを大切にしたいと思いました。
大切にしたい価値観に優先順位をつけることで「これだけはうちは譲らない」という軸ができ、そこに厳しくできるようになります。
これも父性を発揮するポイントと言えるでしょう。
大切にしたいことを明確にして、自分の信じるあるべき姿へ、子どもたちをしっかり導いていきたいを思いました。
まとめ
公の喪失=父性の喪失が、学級崩壊へとつながっている。
これは家庭・社会・教員のどこか一つに責任があるわけでなく、社会的な問題である。
それぞれがMFCの性質を持ち、使い分けながら子どもに関わる必要がある。
手法として、褒め言葉のシャワー・成長ノートがある。
「どんな子に育てるのか」というゴールを大人がもち、大人の責任で子どもをそのゴールへ導く。
少しでも参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
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