教員を辞めたいあなたへ〜辛かったけれど、私が教員を辞めなかった理由〜

教育
学級経営がうまくいかない
残業だらけで体がもたない
部活動・教材研究で土日が潰れてしまう

先生をしていると、きっと誰もが一度は辞めたいと思うことはあるんではないでしょうか。

私は、クラスの子どもと関係がうまく作れず、辞めたいと思った一年がありました。

「私みたいな人間に先生をやる資格はない」と思い、一度は転職活動に取り組み、小さな会社ではありますが内定をいただくところまでいきました。

そんな私が、なぜ結局先生を続ける道を選んだのか、
(今後もいつまで続けられるかはわかりませんが😅)参考までに書かせていただきます。

年収・福利厚生

転職活動をしていく中で、公務員という立場はある程度恵まれた条件で働けていることがわかりました。

例えば、私が内定をいただけた企業では、以下のような条件でした。

・年収100万程度ダウン
・繁忙期の3ヶ月は隔週土曜日出勤。土日祝休みの年間休日120日程度。
・オフィスは駅近で、小さく古めのビル。
・扶養手当、住宅手当などは無し。

このことから教員の良さとして

・(頑張り次第では民間の方が良いかもしれないが)教員は安定した給与上昇が見込める
・夏休みなど、長期で休暇を取ることができる
・社会的地位がある程度あり、住宅ローンなどが組みやすい。
・教員は残業代がないものの、そもそもの基本給がそれなりにある。
また、児童手当や住宅手当などの追加収入が大きい。
・育児休暇、病気休暇などが比較的取りやすい。

ということに気づきました。

これらは、当然優秀な方でしたら、大企業への就職や独立という道を選ぶことで全く気にしなくて良い点になると思います。

人事の方や、面接でお話していただいた部長の方々は非常に熱意がありながら、質問にも丁寧に答えてくださり、非常にありがたかったのですが、やはり条件面は非常に大きな変化があることを痛感しました。

職場の同僚

私は子どもとの関係性で悩み転職を考え始めましたが、主任・若手・管理職など、周りの教職員には恵まれ、とても支えてもらいました。

うろ覚えですが、「職場に仲の良い友達がいると、幸福度が70%アップする」みたいなデータをどこかで読んだ記憶があります。

私は「転職のことは同僚に話すべきではない」と、転職関係の本に書いてあったので、ギリギリまで誰にも相談せずに転職活動をしていました。

そのため、悩みを自分の中に閉じ込めて、あまり自分から関われていなかったように思います。

転職をしようと数名に打ち明けた時、どの人も自分のことを思って話を聞いてくれたり、助言してくれたりしました。

その時、私に必要なのは「環境を変えること」ではなく「この環境を生かせるように自分を変えること」だと思いました。

・自分で抱え込まず、相談する。
・迷惑はかけるもの。かけたらその分、他の分野で恩返しすればいい。

これらのマインドを自分の中に育てることの方が、転職以前に必要であると感じました。

次の仕事へのやる気・魅力

今回の転職活動は、「今の現状から逃れたい」という一心から始まったものでした。

これを否定するわけではありません。

しかし、次の仕事に心が惹かれているというわけではなかったのも事実です。

今の仕事も次の仕事も不安なら、「失敗も含めて今までの経験を活かせて、条件が良い方で働きたい」と思いました。

休職制度

前述の福利厚生の一部になりますが、これは非常に大きいです。

精神的に辛い時、人は正常な判断ができない場合が多いです。

私も正直、教員としての日々の仕事と転職活動で気持ちも時間も余裕はなかったです。

転職は大きな決断で、これからの生活に良くも悪くも大きく影響するでしょう。

もし少しでも迷いがあるなら、一度ゆっくり休んでから再スタートしても良いと思います。

休職を実際に体験して感じたメリット・デメリットについては、この記事で詳しく書き残しています。

病院に通院する必要もありますし、職場に申し訳ないという感情も湧いてくると思いますが、何より自分の健康が大切です。

また、教員不足の今、少し休んででも、その経験を生かしてまた教員として頑張れるなら、
それは自分にとっても学校にとっても良い話のはずです。

もし少しでも教員として道にも迷いがあるなら、休職制度は一度検討するべきだと思います。

なぜ教員になったのか

私がぼんやりと将来の職業として教員を考え出したのは、中学生の頃でした。
教室にはいつも騒いでいる男子が数名いて、その人たちを見ていつもイライラしていました。
当時の自分には、彼らの背景や満たされなさを考える余裕は当然なく、なぜそんなことばかりするのかと腹が立ち、しかし何も変えられない自分の無力さにもイライラしていました。
「幼い頃からしっかりと教育がされていれば、あんな子達が育たなかったのではないか」
「自分のように迷惑を被って苦しむ子が減るのではないか」
そこから、小学校教員という仕事が浮かび上がってきました。

無事小学校教員になったのは良いものの、結局自分が大人になろうと、直面する子どもたちの問題行動を変えるのは容易ではありませんでした。
それは、私の中学時代が再来したようなものでした。

この子達は変えるなんてそもそも無理じゃないか。
私だけのせいじゃない。親のせいだ。この子のせいだ。
・・・私が先生をしていることが、この子達にとって悪影響かもしれない。

うまくいかない日が続くほど、自分が嫌いになり、自分を責め、顔から表情がなくなっていくのを感じました。
先生は辞めよう。そんな思いを持った私にも、同僚・上司の皆さんは温かく相談に乗ってくださり、
「自分が後悔のない方を選べばいい」と、言ってくださりました。

結局私は病気休暇を取るという選択をさせていただき、その後復帰して、数年が経ちました。
冷静になった今、私は思うのです。

落ち込んだり、悔しいと思う気持ちが大きいほど、その目標は自分が成し遂げたいと願っている気持ちが大きいことの証拠だと。
自分の本心は「自分のように苦しむ子のいない学校にしたい」「すべての子が毎日楽しいと思える学校にしたい」だったのだと。

さる先生の著書「MISSION DRIVEN」を読み、人生で成し遂げたいMISSIONを持ち生きていく方が楽しそうだと思いました。
私にとっての前述したMISSIONは、教師であることで達成できそうだと考えました。
生きていく中で、人生のMISSIONは変わってよいと思います。
その時人は、それを実現するのに相応しい仕事を選び、辞めたり転職したりするのだと思います。
私はまだ何も成し遂げていない。もう少し、教員で頑張りたい。私はそう思いました。

辛い時期真っ只中の時にはこんなことは思えなかったと思います。
また辛い場面に仕事で直面した時も、もう辞めたいと思うでしょう。
そんなときに、ここに書いたことを思い出して、人に頼り、自分を信じ、掲げた目標を達成できるように奮い立たせることができればいいなと思います。

以上の5点が、私が教員を辞めなかった理由です。

教員を続けても、違う道に進んでも、どちらも自分の努力次第で正解にできるはずです。

最後は、どちらを正解にしたいか、どっちの方が正解にできそうか、で考えてみるのも良いかもしれません。

お悩みの方いらっしゃれば、いつでもDMください。

一緒に頑張りましょう😄

今日もありがとうございました!✨

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